Another skyを探す旅

激変する世界を生きるヒント。それは自分の足元にある

ショットガンの銃口を向けられた。


このブログを読んでくれている年代の方は多分、というかまず知らないと思うのですが、

かつて、戦中戦後に「渡辺はま子」と言う歌手がいました。

1952年、昭和27年になりますが、
当時大ヒットした曲があります。

それが、
「あゝモンテンルパの夜は更けて」
と言う曲です。


モンテンルパ」というのは、フィリピンのマニラ郊外にある地名ですが、

ここには今も、ニュー・ビリビッド刑務所という、フィリピンで最も大きい刑務所があります。

戦争史に詳しい人ならご存知かもしれませんが、

かつて「マレーの虎」と呼ばれた、山下奉文帝国陸軍大将が終戦後、捕虜となってこの刑務所に拘留されていたのです。

「I shall return」とはGHQの元帥であるマッカーサーの言葉ですが、
これはかつて、米軍のフィリピン地域司令官だった頃に山下に敗れ、撤退する際に残した言葉だったのです。


山下ほどのステータスになると、処刑されるといっても軍人としての名誉を重んじて、銃殺刑となるのが通例だったようですが、

マッカーサーはそれを許さず、山下は絞首刑で人生の最後を閉じたといわれています。



フィリピン駐在中に、個人的によく行く古本屋がありまして、

そこで、ちょっと思いもしなかった、
たとえばトヨタの初代クラウンの、フィリピン代理店が作成した販売チラシとか、まあいろいろ買い込んでいたのですが、


あるとき、顔見知りになった店主から、これを見てみろ、と見せられたのが、
米軍が払い下げた(と言っていた気がする)戦時中の記録写真だったのですね。


今でも脳裏に焼き付いて離れませんが、

米軍車両が路上を走る脇に転がる、日本兵たちの首だったり、
まあ、書くのもはばかられるような凄惨な写真だったんですね。


買うか?と言われても、買うこともできなかったですが、これを見せられて、はっとしたんですね。

戦争なんて、まだ80年足らずしか経っていないことです。
自分が、多くの日本人の先達を土足で踏みつけて立っている気がしたのですよ、その時は。

そんなことも認識していない自分が、ひどくダメ人間に思えてきましたね。

それからです。駐在中に、できるだけ戦争の足跡を自分の目で見ておこうと思ったのは。



そんな経緯もあって、
山下大将はじめ多くの日本兵が囚われていたニュー・ビリビッド刑務所を、一度見ておきたいと思ったんです。
モンテンルパを訪れたのは、フィリピン駐在から帰国間際になったクリスマス・シーズンでした。


当時、自分には専属の車と運転手がついていたので、自分の車で刑務所に向かったのですが、

運転手が思いのほか、刑務所の敷地内に深入りしてしまい、看守の眼前まで車を乗り入れてしまったのです。


数名の看守が詰所から現れ、何かを叫びショットガンの銃口をこちらに向けました。

「さすがにまずい」と思いましたが、手で合図してSorryと言う意思表示をしつつ、運転手にすぐに引き返すように指示しました。

それで事なきを得たのですが、
後にも先にもショットガンの銃口を向けられたのは人生で一回だけです。


ウクライナの侵攻や台中はじめ、世界はにわかに戦争に向けた足音が近づいているように感じますが、
自分が戦争と聞いて思い出すのは、あの時の銃口であったりするのですね。