我々は日々、忙しく生きています。
毎日をなんとか消化するだけで精一杯。そのような人も少なくないはずです。
しかし、その割に
「人生、報われた」感があまり感じられない人も、また少なくないのです。
これは、なぜなのでしょう?
ひとつの仮説として考えてみたいのは、
自分がやっている、日々の「忙しいこと」が
「人生が報われる」ことに直結していない。
これを再検証すべきだろうと思います。
つまり、日々の行動と自分の幸せのベクトルが一致していない。
世の中、お金がすべてとは思いません。
しかし、たとえば
お金がたくさん欲しい。
そう思っている人であれば、お金をたくさん手に入れられる行動を取らないと埒があきません。
しかし、ここに一本の軸が通っている人が意外と少ない。
お金が欲しいと思っている人の行動が、お金を稼げる行動になっていない。
当然、結果として金持ちになれるはずもない。
ここを、今一度考えてみる必要があります。
やるべきことは、意外とシンプルなはずです。
しかし、ここまで分かっていても多くの人は報われた感を得ることができません。
なぜか?
それは、自分がどうすれば「報われる」のか、多くの人が自分のことを分かっていないからです。
ここに意識が向いていないと、
つまり自分が何者なのかを知っていないと、
人間というのは得てして流されるままに日々を生きがちなのです。
そしてそれは、往々にして誰かの幸せのためにうまく使われているだけ
そんなことも少なくないのです。