一時は、価値ゼロの「電子ゴミ」とも揶揄されたビットコイン
コロナショックの影響もあってか、価格は乱高下を繰り返しています
そもそも、ビットコインとは何なのか
あらためて考えてみたいと思います
そもそも、お金つまり通貨というものには、次の3つの機能があるといわれています
①決済の手段 ②価値の尺度、モノサシ ③価値の保存手段
技術は日進月歩とはいうものの、ビットコインの欠点はトランザクションの遅さ、そしてコストの大きさといわれてきました
2017年末のバブル期、ビットコインの送金には時間がかかり、またコストも大きく掛っていたのです
ビットコインの生い立ちはミステリアスで、サトシナカモトという、日本人のような名前のエンジニアが起源といわれています。ただし、実態は不明です
そんな生い立ちも相まって、ビットコインの非中央集権性というものがフォーカスされてきました。
どの国家にも紐づけされていない、いわば③究極の価値保存システムというわけです
一方で、ビットコインは「電子クズ」と呼ばれることもあります
ビットコインの価値というのは、どこかの国の通貨にも、金にも裏付けされていない
いわば壮大なスキャム(詐欺)なのだと
ここで価値保存手段としてのビットコインを考えてみます
子供の頃、友達と「ままごと遊び」はしましたか?「お店屋さんごっこ」とか
お店屋さんで買い物をするとき、昔の子供たちは、例えば牛乳ビンのフタをお金に模して遊んでいました
ただのフタなので、当然貨幣価値などあるわけがないのですが、子供たちの遊びの世界のなかでは、フタがまさに通貨であり、価値あるものだったわけです
牛乳ビンのフタを現代風に言い換えると、コミュニティトークンとでもいうことになりますかね
外部の大人たちから見ればただのゴミでも、子供の世界ではまさに価値の保存手段(プラス、この場合は決済手段にも、価値の尺度にもなっています)
そんな子供たちも、いつかは「お店屋さんごっこ」に飽きる時がやってくる
その瞬間、フタは正真正銘、ただのゴミになり果てます
だって、牛乳ビンのフタは、法定通貨にも金にも担保されていませんね
当然です
しかし
もし、子供たちが「お店屋さんごっこ」を止めなかったら?
夢から覚めなかったら、フタはどうなるでしょう
通貨としての価値を持ち続けます
ビットコインがこれからも輝き続けるのか、あるいはただの電子ゴミになって消えるのか
それは、将来の私たちが「夢」から覚めるのか覚めないのかに掛かっているのです