これまでの価値観に裏打ちされた「固定観念」
誰もが意識、無意識にかかわらず、当たり前のこととして受け入れる常識
それらは果たして正しいのか?
もっと言うと、
これまでは正しかったかもしれないが、この先もそれが正しいと言えるのか?
我々は、考えることを忘れ、これまでの固定観念に毒されていないか?
今日は、常識を疑うことの大切さについて考えてみます
これまで、そして現在もなお、常識とされる高学歴志向
幼稚園、小学受験から始まり、偏差値の高い大学を卒業し、大企業に就職する
それが、これまでの日本社会での典型的な成功モデルでした
しかし考えて欲しいのですが、
もはや大企業に勤めるサラリーマンは、少なくとも経済面においては、特別リッチなわけでもありません
少なくとも、日本のサラリーマンは世界的に見て高所得ではない
日本で富裕層の定義といえば、純金融資産で1億以上
しかしですが、大企業で定年まで働き、1億円の資産を積んだ人はどのくらいいるでしょうか?
そこを考えなければならない
地盤沈下が続く日本では、この先富裕層ランクに滑り込むのはますます難しくなるでしょう
能力のある若者の多くは、すでに海外を志向しています
親たちは、自分の凝り固まった価値観を唯一絶対の真理と疑わず、
つまり固定観念を疑問視することもなく、
言い方は悪いですが、「脳死」状態の価値観を子供たちに押し付けています
そんなことで子供たちが幸せになるのでしょうか?
コロナ禍を機会に、人々の価値観が大きく変わろうとしている今、
自分たちが当たり前と信じて疑わないことを一度見つめ直してみる
我々には、そのような時間が必要です