世界が混沌としています
核戦争まで懸念されるウクライナ問題ですが、ロシアが侵攻に踏み切るなど1年前には予想すらできませんでした
何しろ、侵攻当初はロシアの戦略的パートナーとされる中国の習近平ですら、事前に準備をしていた形跡が見られなかったのです
人の生命をかくも簡単に奪う戦争を、今日もなお目の当たりにするとは
そして我々はここ3年、コロナウイルスによって日常生活を大きく制限されてきました
今現在もなお、日本人の全員がコロナの不安と闘っているのです。この先いつ、不安が完全に消えるのかも見通せません
多くのスポーツイベント、ライブなどのステージも中止され、未だに縮小、人数制限を余儀なくされてきました
今後も入場者数をコントロールするなど対応が避けられません
ご存知の通り、一昨年、昨年は多くのイベントやお祭りが中止に追い込まれました
人が集まることにリスクがあると言われてしまうと、音楽活動などもそうですが、表現の機会をつくることが極端に難しくなる
セミナーなどはZOOMなどオンライン上で開催することがふつうになりました
しかし、舞台や音楽など、ステージ上で何かを表現してきた人にとっては、辛いでしょう
今日は、表現によって「自分の世界観」をつくることについて考えてみます
音楽などでステージに立つ人は、自分が主役になっている感覚を味わったことがあると思いますが、それはなにもステージだけの話ではないですね
これを読んでくれている人のなかには、ブログを持っている人も多いでしょう
ほかにもYouTubeやTwitter、Instagramなど、いろんなプラットフォームがあるので、自分の思いを発信する人は増えているはずです
たしかに、新型コロナウイルスを理由に、「もう無理」とあきらめた人もいたかもしれません
もっと言えば、やる前から決めつけてしまう人も最近増えている気がします
世の中には、戦争やコロナ、さらに経済問題に端を発したバッドニュースが蔓延しています
今はおとなしくするしかない、そんな意識が標準化していると感じます
本当にそうなのでしょうか?
今、自分のやりたいことを始めてみる。
そのことにすごく重要な意味があるのではないか
これまでの生活習慣や価値観が通用しなくなっている。
そんな状況で何か物事を始めようとする人には、共通項があると思っています。
それは、「Why」つまり、なぜそれをやるのかということを考えているということです
今、なにかを始めようとする者にとっては、決してよい環境とはいえないかも知れません。
にもかかわらず、なぜこのタイミングであっても、始めようと思うのか?
そこには、かならず何らかの理由があるはずなのです
現状、この先の時代について、明確な答えなど誰も持ち合わせてはいません
当たり前だったことが、当たり前でなくなっています
みんな、方向感を見極められないでいるのです
誰も価値観の決めうちをしてくれないのが、今という時代なのです
そんななかで、何かを始めようというときには、かならずWhyから考えないと行動できない
その答えを自分のなかに掘り下げ、正体を探ろうとする。
そのような人がもつ行動力が、弱いはずがありません
なので、今、何かを発しよう(もしくは、発している)、何かを始めようという意志を持ったとすれば、その思いは大切にするべきだと思います
先が読めないのは、誰もが同じです
見通しが利かないことを理由にすべきではないと思います。
表現でいえば、たとえ小さなステージであっても、ネット上でも、どこかに活路があるはずです
これまでの(もしかしたら、すでに崩壊しているかもしれない)価値観に縛られて動けないというのは、もったいない
自分のアンテナだけを信じて、このタイミングだからこそ「自分の世界」をつくる。
誰にも邪魔させない。
ここまで読んでいる方になら、分かっていただけると思います