Another skyを探す旅

激変する世界を生きるヒント。それは自分の足元にある

つらい事が続くことはある。そんな時の「心の持ち方」を考える

まだまだ暑い日が続きますが、
それでも少しずつ秋の気配が近づきつつあります


秋といえば「運動の秋」もひとつなのですが、今日はフィットネスの話ではありません笑


秋といえば、運動会のシーズンです。これを題材に考えてみます


夏の思い出といえば、きっと楽しい事を思い出すばかりではないでしょう


苦い思い出や、つらい事もあったはずですね

特に、今年はコロナのおかげで行動がすごく制限された

GoToといいながらも、遠方への外出を控えた人も多かったでしょう


思えば人生においても、いつも良い事ばかり起こるわけがない


つらい事も、当然起こります


つらい事が連続して起こる場合も往々にあります


そんな時、心をどのように保てばよいか


すごく難しい


放り出したい気持ちになる
特に、こんなときは


当然でしょう


場合によっては、死にたいとか


そんな心境も、あり得ないとはいえない


でも


おそらく、そんな時ほど気持ちを整えるようにしたいと思うのです


こんな事が、きれいごとのようにすぐできれば、誰も苦労しない


確かにその通り


でも


ここで運動会を考えたいんです



リレーの選手が、大勢の声援を背に受けながら、事もあろうに、転倒してしまいます


しかし、その選手は自分の痛みはさておき、すぐにバトンを拾って再び走り出す


そして、走り抜いて、次の走者にバトンを渡します


選手はどんな心境なのでしょうか?


おそらく

痛くても、格好悪くても


次の走者へつなぐために、とにかくバトンパスをしようとすることでしょう


僕らも、いろいろつらい事があったにせよ、不細工なことばっかりだったとしても、今日という一日を終えようとするとき、「明日の自分」という走者へ、とにかくつなぐために必死に、バトンを渡す


これが、今日を生きる我々の使命ということになるのだと感じます


「今日の自分」と「明日の自分」が同じ人格で、今日の自分の思い通りだと考えるのは、ちょっと傲慢だと感じるのです

そして、昨日までの自分が、なんとか頑張って今日の自分につなげてくれたことを忘れてはいけない


死んでしまうと、そこでリレーは終わりますね


思い返すと、もっと先の走者は自分の両親だったりする


この後の後の走者は、子どもだったりする


痛くても格好悪くても、なんとか必死に走る


そんな事を忘れないようにしたいと思います