日本人で、「私は英語が話せます」と自信を持って言う人は、あまりいない
そんな気がします
多分ですが、
「英語は話せません」と言ってしまう人のほうが多いですよね?
しかしですが、
本当に英語を話せないのでしょうかね?そんなはずはない、と思っているのですが
一応、
少なくとも、中学の3年間は英語の授業を受けているはずですし
中学の英語だけでは、「話せません」になるんですかね?
リンダ・グラットン先生は、ロンドン・ビジネス・スクールの教授です
日本でも35万部のベストセラーとなった「ライフ・シフト」の著者でもあります
「ライフ・シフト」と聞けば、分かる方もいるかもしれません
経営思想家の世界ランキング「Thinker 50」に、毎年ノミネートされています
リンダ・グラットン先生が、「コロナ後の世界」で言うのは、
「日本の、英語を話せる若者の少なさに、愕然とする」
日本の若者は、将来の可能性を狭めている
日本語圏だけで行動するのは、もったいない
しかし、僕が思うのは、
いや、日本の若者は英語しゃべれますよ
ということですかね
コロナウイルスの影響で、ほとんどのエアラインが操業を停止しました
海外旅行に行くこともできなければ、インバウンドで入国してくる外国人観光客もいなくなりました
そうは言っても、
日本に住む外国人は、ずいぶん増えました
ふだん、あまりに日本人が英語を話さないものだから、
外国人とちょっとだけ英語で話したりすると、例えば「英語うまいね」と言われ、ありがとう!などと返す日本人はひょっとして少ないのでは?
むしろ、いや...それほどでも、みたいな対応がせいぜいではないですかね。想像ですが
アフターコロナは、日本だけ、狭いコミュニティだけにこもって過ごす生活になっていくのでしょうか?
僕は、そうは思わないですが
むしろ、
コロナ禍のリモートワークで、なにも会社に通勤しなくても、在宅でそれなりに仕事をこなせそうなのが分かった
とすれば、
日本の山奥でも、離島でも、海外でも、Wifiさえあれば何とか仕事ができる
そんな、いままで日本人ができなかった選択肢が、今後広がるかもしれない
そもそも、会社ってなんだ?というところから考えるほど、価値観の変化が今から本格的に来るかもしれない、くらいに思います
西澤ロイさんの著書「英語を『続ける』技術」によると、
コミュニケーションに困らない程度の英語を身に付けることは、誰にでもできるのだそうです
目次を見るだけでも、インパクトのある見出しが並びます。例えば
「単語」は中学レベルで十分
とか
「発音」がよくないのは日本人だけではない
とか
中学の「文法」だけで十分すぎる
とか
日本人の2、3人に一人は、英語が嫌いなんだそうです
難しい、好きじゃない、できることならやりたくない
確かに、苦手意識があることには、人間誰しも消極的になりがちですね
周囲に外国人が増えて、英語環境も増えているのですから、英語は「学問」ではなく「生活」に取り入れざるを得ない
実生活で使う、「ツール」という認識を日本人が持ち始めると、私たちの英語力は飛躍的に伸びるでしょうね
中学生レベルの単語や文法ならなんとかなるかも
例えとしてはメチャクチャですが、
なにも、レクサスを買って乗ろうという話じゃない
お手頃価格の軽自動車を買って、乗りこなそう、みたいな
わかりにくい例えでしたが苦笑
「英語うまいね」と言ってくれた外国人、お世辞じゃなくて、ひょっとして本当に思ってくれたのかも知れません
なぜなら、
誰も英語を話そうとしない、
英語を話したくない日本のなかで、ちょっと話してみようと思っただけでも、「うまいね」の仲間入りをしている可能性が高いからです
なぜ英語のスキルを上げるのか?
日本社会で学生をランク分けするためだけに使うのではなく、
料理とか自動車の運転技術と近い感覚で、日常生活の質を上げるためにやってみたい
そんなことになってくるのではないかと、内心思っています