Another skyを探す旅

激変する世界を生きるヒント。それは自分の足元にある

「風の時代」流れが見える。変化の渦に呑み込まれない

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コロナや戦争が拍車を掛けているのでしょうが、たしかに今、「時代の流れ」というか変化しているのが見える

 

そんな感覚を持つことはないでしょうか?

 

スピリチュアルな世界になるかも知れませんが、昨年あたりから「土の時代」から「風の時代」の変換期にあったらしい

 

西洋占星術では、グレート・コンジャンクションという星の並びと接近の具合から、200年に一度の変化があったのだといいます

 

「土の時代」とは所有の時代。有形なもの、経済的なものを求める時代だった

 

これから先の「風の時代」は、目に見えないもの、知ることが重視される時代なのだそうです

 

そう言われてみれば、たしかに私たちの周りでも、あたらしい生活スタイルが広がりつつあることに気が付きます

 

一時期話題になった、風の時代。しかし、文字通り怒涛のごとく様々なことが起こりすぎて、脳内の処理が追いつきません苦笑

 

 

今日は、そのような「時代の流れ」に今一度意識を向けて、これから大切とされるものが何かを考え直してみたいと思います

 

 

 

 

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土の時代。しょゆうの時代ともいわれます

たしかに、これまでの時代を私たちは、何かを「所有すること」を人生の成功モデルに設定していた気がします

 

たとえば、マイホーム、マイカー。

受験戦争を経て、「良い」学校を卒業し、「良い」会社に就職し、結婚して、「良い」マイホームとマイカーを購入する。

 

そんな社会に生きる人生が、ある種ステレオタイプ的な「成功モデル」でした

 

「良い」というのは、もちろん本人にとって快適という意味もあるのですが、

それ以外に重要なのが、「他者からみて」うらやましがられる、そういった要素も加味しつつ、我々の「良い」が形作られてきたのでした

 

それらを所有するためには、一生を掛けたローンを組むことになります

 

少なからぬ人達が、自分の身の丈を超えたオーバーローンに苦しんでいます。今でもですね

 

そのような、従来からの消費モデルに変化が起きている

 

カーシェアリングという言葉を聞いたことがあると思いますが、自動車は所有するよりも、時間単位で借りればいい。そんなユーザー層が増えています

 

ご存知「無印良品」でも、家具の長期レンタルサービスが始まっています

 

1年から4年までのレンタル期間を設定でき、4年間借りると、購入するのとさして変わらない金額になります

 

それでも、このようなサービスが生まれるということは、一定のニーズがあるということに他なりません

 

古い大型家具というのは、捨てるのも大変です。費用も掛かるでしょう

 

そういったトータルコストを考えると、レンタルも悪くない。そのように考える人がいても、何ら不思議ではありません

 

 

 

 

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これから本格的に「風の時代」なるものが到来するとすれば、我々は今後、何を大切にして生きていくことになるのでしょうか?

 

目に見えないものが重視されると前述しました。

 

Facebookが社名をメタに変えましたが、

これからは、メタバースのようなインターネットの仮想空間上で成り立つビジネスも増えるのでしょう

 

そして、目に見えないと言えば、

 

あくまで個人的な感覚ですが、

僕はこれから「時間」がこれまで以上に大切にされる時代が来るのではないかと感じています

 

「土の時代」を振り返ると、

我々は「所有」することと引き換えにローンを組み、毎日の仕事を勤めてきました

 

そして、これまでの日本型の働き方は早朝深夜、さらに休日も厭わぬ労働が美徳とされてきました。今でもまだ、日本の労働社会には、そのような空気が強く残っています

 

これは、端的に言うと「所有」と「時間」をトレードオフしてきたということなのではないですか?

 

我々は、「良い」モノを所有することと引き換えに、自らの「時間」を捧げてきたのです

そして、その「良い」モノとは、必ずしも自分にとって良いモノと限らず、他者の目からみてうらやましがられるもの。

もっというと、それは別の誰かが仕掛けた「価値観のしくみ」に乗っけられていただけかも知れないのです

 

我々が価値あると思っていた (思わされていた)、しかしその根源的価値とは何だったのか?

 

うっすらと(半分無意識的に)感じていたそんなことに、我々ははっきりと気付き始めた

 

それが、今というタイミングではないかと感じるのです

 

そしてもうひとつ、

我々が交換条件に差し出してきた「時間」とは何だったのか?

 

結局のところ「時間」というものは、「我々」の一生。つまり我々の「いのち」そのものだったのではないか?

 

我々は、自らのいのちという取り返しのつかないものをトレードオフの材料にしてきたのか

 

きっと、そんなことに多くの人が気付きだしたのです

 

 

 

 

 

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時代の変化に適合する、とでも言えばいいのか

 

我々がこれからを生きていくうえで、より大切になるのが「時間の感覚」だと思います

 

これからは、時間に対する感覚を研ぎ澄ましていくことが、より生きることを充実させることにつながる

 

働いて給料を得ることが悪いとは思いません

 

ただ、働くということが、より「主体的」かつ「目的的」に選択された結果であってほしいと思います

 

これから、70歳まで働くことが「常識」のような風潮がにわかに広がりつつあります

 

それもまた、みずからが心から望んだ判断によるものであればいいと思います

 

そして、これからを充実して生きるために必要なこと

 

それは、「健康」に対する配慮です

 

自分の身体を大切に扱うということです

 

日本人の「健康寿命」は大体、男性72歳、女性75歳とされます。男女とも、死ぬまでの約10年を何らかの疾病と共に生きることになります

(ところで70歳まで働くと、仕事をしていない健康な自分だけの期間は、わずか男性2年、女性5年ですね苦笑)

 

いかに、みずからの健康を長く維持するか

 

健康への意識が、これからの人生を充実させるために必要です

 

もちろん、健康や障害状態は千差あるので、各々ができる配慮をすればいい

 

 

自分の身体を大切にする

なにより、自分の時間を大切にする

 

そんなの当たり前といえば、その通りです

 

しかし、その当たり前を我々は「見てみぬ振り」をしてきたのではないですか?

 

世の中には、いかにも「当たり前」のように居座り、見て見ぬ振りをされてきた「世間の常識」が山ほどあります

 

きっとこの先、目の前の霧が晴れたような感覚を多くの人が味わう。そんな時が近くに来ている気がします

 

「風の時代」というからには、軽いフットワークで、人々がより生きやすい世の中になってくれるといいのですけどね

 

付け加えると、「風の時代」はこの先200年。つまり我々が死ぬまで変わりませんね笑