Another skyを探す旅

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「さもない」って、ダメなことなのか?有元葉子さんの著書から感じた「忘れかけた日常」

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「さもない」という言葉。意味が分かりますか?

 

さもない

然もない。大したことはない。別にどうということはない

(コトバンクより)

 

さもないというのは、辞書にも載っている、れっきとした日本語です

 

有元葉子さんの著書に、「有元家のさもないおかず」があります

 

料理研究家である有元さんのおかず作りは、自宅にあるありあわせの食材で作る。今、とりあえずこれしかない、という状況であっても、工夫によって一品に仕立ててしまうということのようです

 

もちろん言うまでもなく、手の込んだメインディッシュを作ることもあっての話でしょう。

 

しかしですが、

いったい我々は、常日頃どのように食と関わってきたのでしょうか?

 

こちらも料理研究家である土井善晴さんがおっしゃっていますが、

そもそも、かつての日本人というのは食にかぎらず、「ハレ」と「ケ」つまり日常と非日常をうまく使い分けて生きてきたのですね

 

毎日、「ハレ」の生活を送ると、それはつまり非日常ではなく、日常そのものになります

 

振り返って、今の我々の生活

そのようなメリハリが効いた暮らしになっているのでしょうかね

 

気付かないうちに、生活の閾値を上げ続けてきたんじゃないだろうか?そんなことを考えたりしますけどね

 

結果として、過食を生み、高価なダイエットサプリなんか飲み始めたりして、よくよく我に返ると、一体何してるんだろうっていうことですが

 

今、アメリカはじめ欧米諸国ではインフレが根強く、しかも深刻です。一部地域では、食糧危機も起こり始めています。多分、簡単には収まらないでしょう

 

日本にも、波は当然来ています。

 

ただでさえインフレが進んできたのです

すでに輸入物価は上昇している

体感として、本当に深刻な物価高、食料品高が感じられる日が来ても不思議ではありません

 

しかしですが、どんな状況下であるにせよ、

ただ不安にまかせて右往左往するよりは、

かつての日本人の日常だったはずの「さもない」に思いを至らせて生きてみる

 

そんな生活のなかにも、何某かの歓びを見出すことはできるという感覚。

もしそれを取り戻せたなら、我々のまえに多少の波風が立とうとも、大した不自由を感じずに生きていける気もするのですがね

 

これ、多分ほとんどの日本人が忘れている感覚のはずなんですよね

 

結局のところ、大切な答えは、我々の足元にちゃんとあったりするのですよ

 

この先ちょっとくらい厳しい時代が来たとしても、日本人が持つマインドセットを思い出す。それが、大切なサバイバル術になる気がしますけどね