特に日本人は、他者と違った行動を取るのが苦手です
「同調圧力」もあるでしょう。長年、農耕民族として生きてきた習性でもあるでしょう
多くの他者が動く方向に、自分も行く。
自分に納得感があればそれも悪くないのかも知れません。しかし、時には明らかに、そうでなくても、微妙でも、「違和感」を感じることもあります
果たして、自分も同じことをやっていて良いのだろうか?
そのような「なんとなく」の違和感。とはいっても、大勢に従っていさえすれば、まあ大ケガすることもないだろう、という変な安心によって、自分の心を着地させる
実際のところ、我々の日常生活は、そんなことの繰り返しなのではないか?
そんなふうにさえ感じます
では仮に、他者と違った行動をするなら、そのために何が必要なのか?
今日は、そんなことを考えます
他者と異なる方向に動く。そのために必要なのは何か?
「勇気」なのでしょうか?
では、勇気とは何なのでしょう
勇気
普通の人が、恐怖、不安、躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じる事を恐れずに(自分の信念を貫き)向かっていく積極的で強い心意気のこと
確かにそうかもしれません
しかし、自分が思うに
大切なのは、(カッコ)書きの部分なのではないかと感じます
自分の信念
これが大切ではないか。
信念
我々は、どうすれば「信念」というものを手に入れることができるのか?
その第一歩は、実は「ググる」ことなのではないかと僕は思っています
つまり、情報を集めてみること
そして集めた情報をもとに、自分なりの考えを導き出す
そんなことの繰り返し、積み上げが信念になっていくのではないか
「考える」ことを繰り返す。その過程で得られる、自分にしか感じられない、他者からみると独りよがりかもしれないが、とにかく自分には「腹落ち感」がある
それが信念なのではないかと感じます
であれば、信念というものには、少なくとも自分自身にとっては、合理性のあるものでなくてはならないはずです
その合理性に、素直に従って歩く。その、歩くという行動力こそが、結局のところ「勇気」なのではないか
結果がどうあれ、自分の行動、ひいては自分の一生を「信念」によって決めていければ、きっと後悔のない人生になるでしょうね
とは言っても、我々は、いろんな「しがらみ」のなかに生きているので、ときには気が進まない寄り道もしなくてはならないかもしれない
ただ、そのような「清濁」を受け入れながらも、少なくとも自分として、人生の大局にかかわる「信念」と「勇気」は持ち続けたいと願う
そんな感じで生きていけると良いなと感じます