Another skyを探す旅

激変する世界を生きるヒント。それは自分の足元にある

★FIREをめぐる決断。「他者とは違う道にいく」 これが難しいのは、「勇気」が足りないからではない

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特に日本人は、他者と違った行動を取るのが苦手です

 

同調圧力」もあるでしょう。長年、農耕民族として生きてきた習性でもあるでしょう

 

 

多くの他者が動く方向に、自分も行く。

自分に納得感があればそれも悪くないのかも知れません。しかし、時には明らかに、そうでなくても、微妙でも、「違和感」を感じることもあります

 

 

果たして、自分も同じことをやっていて良いのだろうか?

 

そのような「なんとなく」の違和感。とはいっても、大勢に従っていさえすれば、まあ大ケガすることもないだろう、という変な安心によって、自分の心を着地させる

 

 

実際のところ、我々の日常生活は、そんなことの繰り返しなのではないか?

そんなふうにさえ感じます

 

 

では仮に、他者と違った行動をするなら、そのために何が必要なのか?

 

今日は、そんなことを考えます

 

 

 

 

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他者と異なる方向に動く。そのために必要なのは何か?

 

 

「勇気」なのでしょうか?

 

では、勇気とは何なのでしょう

 

 

勇気

普通の人が、恐怖、不安、躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じる事を恐れずに(自分の信念を貫き)向かっていく積極的で強い心意気のこと

Wikipedia

 

 

確かにそうかもしれません

 

しかし、自分が思うに

大切なのは、(カッコ)書きの部分なのではないかと感じます

 

 

自分の信念

 

これが大切ではないか。

 

 

信念

 

我々は、どうすれば「信念」というものを手に入れることができるのか?

 

 

その第一歩は、実は「ググる」ことなのではないかと僕は思っています

 

 

つまり、情報を集めてみること

 

 

そして集めた情報をもとに、自分なりの考えを導き出す

 

 

そんなことの繰り返し、積み上げが信念になっていくのではないか

 

 

 

「考える」ことを繰り返す。その過程で得られる、自分にしか感じられない、他者からみると独りよがりかもしれないが、とにかく自分には「腹落ち感」がある

 

 

それが信念なのではないかと感じます

 

 

であれば、信念というものには、少なくとも自分自身にとっては、合理性のあるものでなくてはならないはずです

 

 

その合理性に、素直に従って歩く。その、歩くという行動力こそが、結局のところ「勇気」なのではないか

 

 

 

 

 

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結果がどうあれ、自分の行動、ひいては自分の一生を「信念」によって決めていければ、きっと後悔のない人生になるでしょうね

 

 

とは言っても、我々は、いろんな「しがらみ」のなかに生きているので、ときには気が進まない寄り道もしなくてはならないかもしれない

 

 

ただ、そのような「清濁」を受け入れながらも、少なくとも自分として、人生の大局にかかわる「信念」と「勇気」は持ち続けたいと願う

 

 

 

そんな感じで生きていけると良いなと感じます