これからは、雑草のように生きることを意識する
それが、「生きやすさ」につながるかも知れません
雑草は、じゃま者扱いされる存在です。
しかし、世の中に「雑草」などという植物分類などなく、要するに人間にとって必要ないとされた草を総称して雑草と呼ぶ
人間に栽培されるでもなく、自らが置かれた環境にうまく適応して成長していく。
コロナ以降現在に至るまで、混沌としてきた時代にあって、このような生き方こそが求められるのではないか
そんなことを考えます
今日は、静岡大学の稲垣栄洋先生の著書「雑草という戦略」をヒントに考えてみます
雑草というのは、自分の置かれた環境によって成長の仕方を合わせる。なので、一概に図鑑どおりに育つわけではないらしい
植物の世界というのは、人間から一見すると、調和のとれた美しい世界のように感じます。しかし、裏では激しい生存競争にさらされている
優勝劣敗の過酷な世界なのです
そういう意味では、雑草というのは、環境適応力にすぐれたポテンシャルを持っている
ではなにが「優」で、なにが「劣」なのか?
植物が持つ強さには、いろんな切り口がある。正論だけでは通用しない世界があるでしょう
ただ言えるのは、厳しい環境変化に対し、いかに柔軟に適応していくかといったことがひとつ大切な「強さ」になる
それがアスファルトやレンガブロックのせまい隙間のような、ニッチな世界であってもです
それが、雑草の生存戦略なのです
雑草の、このような戦略をCSR戦略と呼ぶらしい
といっても、Corporate Social Responsibility、社会的責任の意味ではありません
Competitive(競争)、Stress tolerance(ストレス耐性)、Ruderal(適応力)
置かれた環境が激変すればするほど、適応力を持つ雑草にとっては有利にはたらきます
「弱者」としての雑草にも、チャンスがあるということです
人間だれしも、大きな変化に直面するのは不安になるし、恐怖を感じるものです。
しかし、考えてみると、コロナ禍以降というのは、これまで「勝ち組」とされた組織や個人が思うように力を発揮できない時代でもあります
そんななかにあって、これまで日の目を見なかった者にとっては、もしかするとチャンスが訪れているのかもしれない。気付いていないのは本人だけかしれません
一歩が小さくても、チャレンジを続ける。失敗も重ねながら、自分の歩く道を柔軟に選ぶ
はたから見ればアスファルトやレンガブロックの隙間ていどのものであったとしても、実はそれが未来につながるブルーオーシャンだったということもあり得ます
時分の置かれている状況を冷静に分析しつつ、小さなチャレンジを続ける
なんとか、せまい隙間に根が張れないものか。そこにトライしてみることが大切なのかも知れません
「勝ち組」たちが決して目指そうとしない世界を知っているのは、気付いたら自分だけだった
今、多くの日本企業が世界間競争に劣後しはじめている。それは、なぜなのでしょう?
クリエイティビティやスピード感の欠如でしょうか
コロナウイルスは、日本の良い面も、悪い面も浮き彫りにしました
日本は結局、IT後進国だったなどといわれるように、問題点も顕在化しました
自分の軸足を明確に決めて、時代の流れに柔軟に適応する。企業よりも、むしろ個人のほうがスピード感をもって動きやすいかもしれません
そういう意味では、これから個の力がものを言う時代になっていくのかもしれません