Another skyを探す旅

激変する世界を生きるヒント。それは自分の足元にある

ハートドリブン:心にBe(在り方・状態)を取り戻す

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今日は、私たちが生きていくうえで忘れたくない「感情」や「感覚」について考えます

 

 

ゲーム会社アカツキの創業者である塩田元規氏の著書「ハートドリブン 目に見えないものを大切にする力」を踏まえて考えます

 

 

 

 

 

 ラットレース

 

 

ふだん、私たちは何かに追われながら、日々をあくせくと生きています

 

 

仕事であれ、勉強であれ、家事であれ、何らかの作業をします

 

 

つまり、英語でいうと「Do」ですね。行動しているわけです

 

 

お金なのか、社会的信用なのか、家族との信頼なのか、とにかく何かを手に入れようと、「Have」しようと行動する

 

 

何かを手に入れようと、あくせく動き、やっと手に入れたと思いきや、その瞬間に満足感は消えていく

 

 

この繰り返しで、私たちは生きている。塩田氏が言うところの「ラットレース」です

 

 

 

ふだん私たちは、この「ラットレース」の意味について思いをめぐらすことをしていない

 

 

というか、

 

むしろ、社会(会社や学校、世間)は、そんな意味を考えさせないように仕向けます

 

 

とにかく働けばいい、と

 

理由なんかいらない、と

 

 

そんなことを何度も何度も言われ、罵倒され続けると、人間は考えるということをやめてしまう。思考を自ら停止させてしまいます

 

 

 

なぜ、ラットレースに「はまる」のか

 

 

私たちは、なんとなくそんなからくりに、心の奥では気付いているような気がしています

 

 

しかし、気付きながらも、今の立ち位置に安住する

 

 

なぜなのか?

 

 

塩田氏は指摘します

 

 

人間には、生存欲求がある

 

 

生存の不安を軽減するために、人は「群れ」で行動するようになる。群れからの逸脱は、すなわち生存リスクを高めることに他なりません

 

 

群れを維持するためには、なにも個々人が「考える」必要などなく、群れを維持するために与えられたタスクをこなすことのみが求められますね

 

 

まさに、日本社会の縮図ではないでしょうか?

 

 

もちろん、日本社会をひとくくりにして何かを語るのは難しいですが、

 

 

日常を振り返ると、しばしば周囲からの「同調圧力」を感じることがあります

 

 

もちろん、自分自身が他者のベクトルに共感し、自分の意思として行動を共にするというのは、ありでしょう

 

 

問題なのは、なぜそのような行動を取る必要があるのか、納得がいかないままに周囲に流されること

 

 

自分の感情に正直になるために、少しの勇気が必要になります

 

 

 

Be-Do-Have

 

 

塩田氏は、僕たちが行動する前提として、「Be(在り方・状態)」が必要だと説きます

 

まず、自分がどう在りたいのか、ここに対する想いがあって、行動し、何かを得る

 

これが、「Be-Do-Have」です

 

 

Beとはなにか?

 

 

心が何を感じているのか

 

 

自分の心の奥底にある、感情や感性、パワー、そんな感じでしょうか

 

 

あいまいですね

 

 

そんなあいまいなものを、どうやって具現化し、具体化していくか

 

 

そんなことを追求すると、人生が楽しくなってくるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか

 

 

何かを目指す。「考えない」わけにはいかない

 

 

弊ブログでは、よく「山の頂上」に例えて、目的を設定することについて考えています

 

 

 

www.glocal2019.com

 

 

 

人生は長くない

 

 

であるとすれば、

 

 

どうせ行動するなら、強い足取りで進みたい

 

 

そう思うのが、ふつうでしょう

 

 

足取りを強くするためには、自分がどこに行きたい(生きたい)のかが分かっていないと(もしくは、分かろうと意識しないと)、難しいのではないかと思っています

 

 

どうせやるなら、楽しく、充実感を持ってやっていきたいですよね