我々は日々、多くの情報を望むと望まないとにかかわらず、インプットし続けています
日々、何かを知り続けているのです
ところで、「知る」というのは好ましいことなのか、もしかしてそうではないのか?
海外で生活した経験がある人であれば、
日本と外国を肌身でもって比較できます
治安がいい、食事が美味しい
やっぱり日本が最高、と思う人がいれば、じつはその逆の人もそれなりの割合いるはずです
そういった自分なりの判断というのは、両方を「知った」からこそです。それが必ずしも人を幸せにするかというと、そうとも言い切れない
なぜなら、日本が好きでも事情があって帰って来れない人もいる。様々な条件が付くからです
タモリさんが出演している、NHKの「ブラタモリ」という番組がありますが、
視たことがある人は分かると思いますが、タモリさんはものすごく博識ですね
ふつうであれば見逃してしまうであろう風景に、タモリさんの膨大な知識に裏付けされた解釈によって、色を付けられると、見える世界が一変します
それは、歴史学であったり地質学であったり、その両方であったり、また違った知見であったりしますね
とにもかくにも、見える世界が変わっていきます
それはちょっとした驚きと感動さえ感じます
しかし一方で、もしかすると
なにも知らない純粋無垢な感動、ニュートラルな心の揺さぶりとは、
今後に見える世界は少しであっても色合いを異にするのかもしれない
人間というのは、知るたがる動物なので、これからも死ぬまでは新しい知識を飲み込み続けるのでしょう
そして、いろんなことを知っていく
それが人にとって、必ずしも幸せとは限らなかったとしても、おそらく立ち止まることはできないのでしょうね