Another skyを探す旅

激変する世界を生きるヒント。それは自分の足元にある

金持ちへの道は、指一本。

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金持ちになりたい。

例えばそう考えたときに、何をすればなれるのか?

 

このブログでは、投資について記事にすることも多いですが、

こと金融投資についていえば、今の時代、ワンクリック。指一本で決済ができます。

 

必要なのは、指を動かすための決断。つまり、思考のみです。

 

指一本さえ動かす筋力があれば、大富豪になることも夢ではない。

今というのは、そういう時代なのだと感じます。

 

いかにして、なりたい自分になるか。そこに至る思考だけが必要な武器、じゃないでしょうか。

 

自分には、何もない。

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自分には、何もない。

とりえもないし、人に自慢できるものなどあるわけがない。

 

たとえそのような人であっても、

自分ではごく普通、当たり前、日常だと思っていたことが、

他者からみるとすごい才能だった。そういうことが往々にしてあります。

 

自分には誇れるものがない。

そんなことを考えるまえに、自己と他者の差異を見つめてみる。自分の経験を棚卸ししてみる。

 

自分が考えている以上に、

自分のこれまでの生き方が重みを持っていた。そんなことは、意外と多い気がします。

 

 

今年の金融投資。成功と失敗を振り返る。

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毎週月曜日は、個人的な投資の振り返りをしています。

ご自身の投資は自己判断、自己責任にてお願いします。

 

早いもので、今年も残り1か月を切りました。

ちょっと早いですが、1年間の投資活動を軽く振り返りたいと思います。

 

 

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まだ利益確定したわけでもないので決め打ちするわけにはいかないのですが、今年取ったポジションのなかで比較的上手くいっているもの

 

何といっても、現時点で爆益中のビットコインです。

今年の夏前まで静観を決め込み、ノーポジで過ごしてきましたが、昨年1年間続いた下落トレンドの終了と上昇トレンドへの転換を感じたこと、そしてもはや多くの投資家が知る半減期イベントがいよいよ現時点で144日(2023.12.6Binance試算)に迫ってきたこと、現物ETF機運が盛り上がってきたことを理由に、1千万単位でのポジションを投じました

 

あまりアルトコインに手を出したことがないのですが、ETH(イーサリアム)やXRP(リップル)もあそび程度に購入し、一部利確しました。

 

突発的なブラックスワンには警戒をしつつも、基本的にアップサイドは継続とみてポジションをホールドしています。

 

半減期後は、いずれ史上最高値2021.11.8の778万円を超えてくると予想します。

 

 

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目線は間違っていないと思うものの、実際の投資で上手くいかなかったのは、米国株のショートポジションです。

今現在も、米国の長期金利が頭打ちするとか、利下げに転じるとかいろいろな憶測がありますが、

そもそも利下げするというのは米国民の消費行動が低迷することに他ならず、景気の後退入りを意味すると思うのですが、それでも株価が下げ渋る気配が見えず、数十万円ですが損切しました。

 

今回の反省は、株価の天井を勝手に予想しトレンド転換を取りに行こうとしたこと。

ここを取れればでかいのですが、それは本当に難しい。

 

マイケル・バーリみたいなことをやってみたかったのですが、凡人には難しかった。

 

ここは一旦ポジションを切って、大きな下落局面が訪れたらゆっくり買うかを判断するしかないかというのが現時点での見解です。米国株についてです。

 

 

 

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本当は、個人的に今年は株式にシフトしたいと考えてもいたのですが、そこが上手くいきませんでした。

結局ポジションを増やしたのは、ビットコインとゴールドです。

 

このブログを開設した時から変わらないのですが、やはり既存の法定通貨に対する信頼しきれない思いというのがどこかにあって、自分でもこのようなポジションに偏重してしまうのかと思います。

 

来年の投資も相当難しいハンドリングが必要になると考えます。

 

陰陽。

陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。

 

来年は、これを意識したいと考えています。

奢るとそこで終わる。そんな一年になると思います。

将来のプランとか、考えるのが苦手な場合。無理はしなくていいと思う

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計画とかプランを立てるのは、楽しいものだと思います

 

しかし、そういったプランを立てることが苦手という人も、いるかも知れません

 

とくに、人生とか将来のプランとか、長期的なことを考えるのは難しいことです

 

漠然としていて、何から考えていいのか分からない。だいいち、面倒ですね笑

 

 

 

 

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そういう場合は、どうすればいいのか?

 

 

 

そういうときは、無理せずプランなど作るのをやめてしまえばいいと思います

 

 

そこでひとつ提案したいのが、

 

自分も含めてですが、誰もが「今」という時を生きているし、「今日」という一日を生き切ろうとしている

 

とすれば、

「今日」という日の、残り数時間をどのように過ごすか

 

そこにフォーカスし、いかに満足できる時間を過ごせるかを考えてみる

 

それで十分なのではないか。そんなことを感じます

 

 

何と言っても、まず、

今日、そして明日以降のプランを立てられないことには、将来の計画など立てることはできない。

 

逆に、

いくら将来の計画だけ立ててみても、そこにつながる日々の計画が立てられなければ、「ハシゴ外し」になる

 

 

 

先のことなど、誰に分かるというの?

何が良かったかなんて、一体誰に分かるというの?

だから、あなたはあなたの人生を生きなさい

 

 

ノルウェイの森」のレイコさんのせりふですが、

 

 

たしかに、そういう「本質論」はあるにせよ、

たとえ、ブレイクするかもしれない。としても、プランを考えることは意味があると思います

 

 

しかし、

とは言っても、我々は日々の積み重ねのなかで生きているので、

 

足元の「暮らし」を充実させる。

 

まず、そこを大切にするということで良いと思っています

 

 

 

これまでのキャリア形成が「無駄になる」瞬間

意識的にキャリア形成を行っている人、
あるいは勤めている会社で職務経歴を積み重ね、キャリア形成してきた人

様々でしょう


しかし時として、これまで築いたキャリアが、時代に必要とされなくなる

そんなこともあり得るかもしれません

今日は、キャリア形成についてのリスクと、これからの処世術について考えてみます



資格を取得したり、企業で同一職種に長年携わったりという経験によって、スペシャリストとしてのキャリアを形成してきた

そんな人もいるでしょう

しかし、本人の努力とは無関係に、時代がそのスキルを必要としなくなった。
社会や時代の変化によって、これまで求められてきた自分のスキルが、何か別のスキルに置き換わった


そんな事はよくあることです
長い人生の中ではそういったことの一度やニ度はあってもまったく不思議ではありません


やはりコロナのインパクトが大きかったと思いますが、
これまで目に見えにくかった時代の変化が一気に進みました

多くの失業者が生まれ、雇用環境が悪化した

自分は大丈夫。安定した会社に入っている。
そのようなことが何の担保にもならない
そんな時代です

たとえ雇用が維持されていたとしても、賃金は頭打ち。日本はそのような構造的問題に直面しています

一個人として、このような時代をどう乗り越えるえれば良いのでしょうか?

我々はこれまで、終身雇用の名のもとに
人的資本、つまり労働収入をもとに、自分や家族の生活を維持してきました

一方で、金融資本、つまり投資にはこれまであまり着目されてこなかった

銀行預金が一番の資産運用。
国民の多くがそう考えてきました

しかし今、
長年続く低金利の影響もあって、
また、あの老後二千万円問題が話題になって以降、そのインパクトの大きさもあって、
資産運用の大切さが見直されつつあります
特に若い世代に

実際、コロナショック以降の株高の恩恵を受けた個人投資家と、
運用をしてこなかった人たちの間で、格差が開いたのも事実

これからも株高が続くとはまったく限りませんが、(というか、これからさらに要注意です)
しかし今の日本で、人的資本だけにしか目が行かない。そんな生き方こそが、何よりも大きなリスクを背負いこむことになる

それを知る必要があるのかもしれません

「さもない」って、ダメなことなのか?有元葉子さんの著書から感じた「忘れかけた日常」

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「さもない」という言葉。意味が分かりますか?

 

さもない

然もない。大したことはない。別にどうということはない

(コトバンクより)

 

さもないというのは、辞書にも載っている、れっきとした日本語です

 

有元葉子さんの著書に、「有元家のさもないおかず」があります

 

料理研究家である有元さんのおかず作りは、自宅にあるありあわせの食材で作る。今、とりあえずこれしかない、という状況であっても、工夫によって一品に仕立ててしまうということのようです

 

もちろん言うまでもなく、手の込んだメインディッシュを作ることもあっての話でしょう。

 

しかしですが、

いったい我々は、常日頃どのように食と関わってきたのでしょうか?

 

こちらも料理研究家である土井善晴さんがおっしゃっていますが、

そもそも、かつての日本人というのは食にかぎらず、「ハレ」と「ケ」つまり日常と非日常をうまく使い分けて生きてきたのですね

 

毎日、「ハレ」の生活を送ると、それはつまり非日常ではなく、日常そのものになります

 

振り返って、今の我々の生活

そのようなメリハリが効いた暮らしになっているのでしょうかね

 

気付かないうちに、生活の閾値を上げ続けてきたんじゃないだろうか?そんなことを考えたりしますけどね

 

結果として、過食を生み、高価なダイエットサプリなんか飲み始めたりして、よくよく我に返ると、一体何してるんだろうっていうことですが

 

今、アメリカはじめ欧米諸国ではインフレが根強く、しかも深刻です。一部地域では、食糧危機も起こり始めています。多分、簡単には収まらないでしょう

 

日本にも、波は当然来ています。

 

ただでさえインフレが進んできたのです

すでに輸入物価は上昇している

体感として、本当に深刻な物価高、食料品高が感じられる日が来ても不思議ではありません

 

しかしですが、どんな状況下であるにせよ、

ただ不安にまかせて右往左往するよりは、

かつての日本人の日常だったはずの「さもない」に思いを至らせて生きてみる

 

そんな生活のなかにも、何某かの歓びを見出すことはできるという感覚。

もしそれを取り戻せたなら、我々のまえに多少の波風が立とうとも、大した不自由を感じずに生きていける気もするのですがね

 

これ、多分ほとんどの日本人が忘れている感覚のはずなんですよね

 

結局のところ、大切な答えは、我々の足元にちゃんとあったりするのですよ

 

この先ちょっとくらい厳しい時代が来たとしても、日本人が持つマインドセットを思い出す。それが、大切なサバイバル術になる気がしますけどね