Another skyを探す旅

激変する世界を生きるヒント。それは自分の足元にある

人間というのは、ネガティヴ思考を避けられない生き物

我々人間というのは、どうしてもネガティヴ思考におちいって、自分で自分を攻撃する癖があります。

特に夜、疲労が溜まった時間帯
気付くと一人になっていた時間帯
そのようなタイミングで、メンタルが雑音負けしてしまう。

雑音というのも分かりにくい表現ですが、無性にネガティヴなもやもやに苦しむことが誰にでもあるものです。

問題になるのは、その雑音に引きずられて不要な悪手を取ってしまうこと。

後々の後悔につながる意味不明な行動を取ってしまう。これもまた、あり得ることなのです。

何かに「取り憑かれる」というのは、こういう感覚なのかも知れません。

さらに言うと、例えベストな行動を選択したとしても、それでもワケの分からないネガティヴ思考が襲ってくることすらある。

しかし、それが人間というもの。
所詮、我々なんてその程度のレベル。

そんな開き直りができるなら、少しは楽に生きられるかも知れない。

我々人間はもともと、そんなしょうもない癖を持った生き物。
そう頭の片隅に置きながら、それでもしたたかに指の先を1センチ伸ばそうとしてみる。そんな感じでしょうか。

「経済力の二極化」は、「老後の有無」で大別される

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日本では今、働き方のしくみが大きく変わりつつあります

 

そのひとつが、昨年4月から施行された「高年齢者雇用安定法」です

 

企業には、従業員に対し70歳まで就労機会を確保するべく努力義務が課せられました

 

いずれ法改正によって、~するように努めるという「努力義務」から、~しなければならないという「義務」に置き換えられることでしょう

 

現在、男性の健康寿命は男性で72歳、女性で74歳とされます

 

つまり、健康である間は働く。それが日本社会のスタンダードになりつつある

 

健康寿命」とは、日常的・継続的な医療介護に依存せずとも生活できる期間のことです。

つまり、その後は何らかの疾病や障害が発生し、自立した生活が送りにくくなってくるということに他なりません

 

いうまでもなく、背景には「少子化」による労働力不足や、「老後2000万円問題」受給開始が繰り下げられる年金制度などに端的に表れる、経済的な生活不安の問題がありますね

 

 

 

一生働くことが大前提とされる「老後なき日本社会」

 

一方で、昨今ムーブメントとなった「FIRE」など、経済的な自由を目指す若い世代のベクトルとは対照的です

 

コロナが問題になる以前から、間違いなく日本でも経済の二極化が進んでいました

 

富裕層と貧困層

中間層は顕著に退廃しつつあります

 

トマ・ピケティの「r>g」

(r=資本収益率 g=経済成長率)

 

好むと好まざるとを問わず、人的資本のみで資産構築することを目指した(多くの)人々と、リスクを厭わず投資に動いた人との経済格差が目に見えて拡大しつつあります

 

それは、もはや相当に大きな差になりつつあります

 

労働によって稼ぎを得ることは極めて大切です

 

問題は、得た稼ぎを若いうちから運用にまわし、時間を味方に付けながら種銭を大きくしてきたのか、どうか

 

多くの日本人が、これを避けてきました

 

一方で、種銭を作った人々は、株の配当収入や不動産からの家賃収入といったインカムによって生活費の充当を目指す

 

かつて、日本人の定年年齢は60歳よりはやかった

 

もちろん、元気で動ける中高齢者が増えたことはいいことですね

 

しかし、資産運用によって人生の選択肢を広げることができる

そのことを、これから多くの時間を生きる若い世代は知っておくべきだと、心から思っています

 

 

 

勝率だけが人生ではない。

人生において、勝率は重要なのか?

いつも結果を出せる人は世の中に確実にいます。ひとつの成功体験を他の分野に類推適用できる。そういう器用な人はいるものです。

では、不器用な人間は負け確定なのか?

それは、そうとも言い切れない。

投資の世界では、勝率と投資結果が必ずしもイコールではありません。

つまり、明らかに分が悪いのに損切りをしない。塩漬けにしているだけ、確定していないから負けていない。そのような人も多いものなのです。

取り返しが付かない状況になって初めて切るものだから、損失額も大きくなります。

トレードは人それぞれ。自分に合ったスタイルを持っているものですが、
小さく負けても、伸びる局面では大きく勝つ。そういう投資家も実際にいる。

勝率と言っても、
あれだけ打撃の天才と言われたイチローでも打率4割超えというのはなかなかできなかったわけです。


勝率だけが人生ではない。そのように思います。

人間には「ゴールをずらす」くせがある。それを認める。

人間は、往々にして最初に決めたゴールを途中でずらす習性があります。

人間の決心などというものは、その程度にいい加減だったりするものなのです。

それが好結果を生み、俗に言う結果オーライになったという場合もある。しかし、ゴールをずらしたばかりに取り返しのつかない泥沼にはまってしまうこともある。

そうなると、普通の人間ではメンタルコントロールが効かなくなってしまいます。

この心の動きというのは、投資をする人なら心当たりがあるはずです。

投資対象が思いのほか値を上げている。こんなところで売ってしまうのはもったいない。
こういう心理です。

予期せぬ暴落というのは、こういう場面で起こりやすい。

思いのほか値を上げているというのは、単なるオーバーシュートの可能性が高いのです。

投資だけでなく、人生においても精神を平静に保つことは、重要ではあるものの大変難しいことでもある。

経験が長い投資家であれば、一部を売却し利益を確定させる手法を使います。

損をしないためというのももちろんですが、精神を保つためでもあります。

勝てる投資家ほど、自分自身のメンタルが弱いことを知っている。
自分のことをどこかで信用していない。

自分のメンタルなどというものは、所詮その程度のもの。ここを立ち位置にすれば、
メンタルに過剰な負荷を掛けないようにする、自分への気づかいという感覚が生まれます。

繰り返しになりますが、
自分というのは、あなたが思っているほど強くない。

ここを冷静に認識することが大切だと感じます。

最大の「チャンス」をつかむマインドセット。気付いていないと後で悔やむ

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チャンスを掴めなかった。そんな後悔が、誰にでもあります

 

チャンスを掴めなかったばかりに、自分は今の現状に甘んじている

多くの人がそう感じているでしょう

 

チャンスとは何か?

 

チャンス:chance

何かを行うのに良い機会のこと。「好機」とも言われる

(wikipedia)

 

なぜチャンスを掴めないのか?あまりに運がないともはや、チャンスが自分を避けているのではないか。そんなことすら考えます

 

そうとしか思えませんね苦笑

 

 

 

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そもそもですが、チャンスなどというものは後になって分かるものなのではないでしょうか

 

振り返って考えると、実はあの時が大きな転換点だった

過去の自分は、その時に何らかの選択をし、今の道を進んできたのですね

 

 

ここで厄介なのは、

転換点に直面した時の、「自分の心境」なのですね

 

人間誰しも、つらい事はやりたくない

できることなら、避けて生きていきたいわけです

 

しかし往々にして、チャンスを掴むというのは困難な道のりを選択する場合もあるということです

 

登山道でも、最短ルートは急斜面であったり、岩場が続いたりする

 

仮に、ゴールへ最速で到達したいと考えるなら、

最適となる選択肢は、急勾配ということになる。リスクも考慮したうえでの選択ですね

 

しかし、リスクとは何か?

急勾配でケガをするリスクもあるかも知れないが、平坦な迂回路を選択することによって、日中の明るいうちに下山できなくなるかもしれない

 

結局のところ、チャンスなどというのは後になって分かる。あの時の選択があったから、今の自分がいるのだと

 

 

 

 

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投資の世界では、一年に数回大きな暴落が訪れます

 

ときには、リーマンショックのような数年引きずるような暴落も起こります

暴落に直面すると、多くの投資家にとって「買い」で入っていくことが難しくなります

 

しかし、そういう局面で買い向かっていくのが勝てる投資家なのですね

 

他人が貧欲になっているときは恐る恐る

周りが怖がっているときは貧欲に

ウォーレン・バフェット

 

 

稀代の投資家とよばれる人たちは、大勢と同じ行動を取るのが最適解だとは思っていません

 

孤高を恐れてはいけない

皆がやっている。それは正しさを証明しない

ジェシー・リバモ

 

 

チャンスを掴むというのは、孤高の選択。つまり、すべてが自分に委ねられているということでしょうね

 

 

 

 

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しかし、そうは言っても、誰しも苦しい道は進みたくないし、暴落時に買い向かえるかというと、そうでもないですね笑

 

どうすれば我々は、チャンスを手に入れるために「決断」することができるのか?

 

wikipediaですが、

何かを行うのに良い機会のこと。とあります

 

しかしですが、自分はいったい何をしたいというのでしょうか?

何かを行うと言われ、これがしたいと明確に即答できるだけの思いがあるのか?

 

 

チャンスというのは、「今の自分」と「将来の自分」の交渉でもあるのでしょうね

 

「将来の自分」には、ゴールが見えている。そこに到達するための最短ルートも分かっている

 

ただし、何らかの選択をすることによって、「今の自分」は苦しい思いを味わうことになるかもしれない。

今とは違う何かに足を踏み出す恐怖心というのは、相当なものです

それがささいなことであってもです

 

チャンスというのは、今の自分にとって必ずしも居心地のよい選択ではないかもしれないが、その先にうっすらと見えるゴールらしきものを信じて、とりあえず一歩進んでみる

 

そういうことなのかも知れない。だとすれば、判断の物差しとは、居心地のよさ以前に、俯瞰しなければならない広い景色ということでしょうか

 

まあ、簡単ではないですが笑

 

 

奨学金を抱える大学生

いま、大学生の多くが奨学金を借りているようですけど、
社会に出ていきなり返済スタートです。

昔は今ほどじゃなかった。

わりと多くの親が、学費を全部出してくれていた気がします。

それが今、親が学費を負担してやれない。

親の生活もギリギリです。そんな両親も共働きであくせく働いていたりします。

なんなんですかね?

親が払ってやれないのが悪いのか?
そもそも大学なんて行く必要すらないのか?

冬だからでもないですが、寒い話ですよね。