よさまつさんというYouTuberがいます
番組を見た人も、いるかもしれません
よさまつさん自身は東京大学の大学院に通う秀才なのですが、大検を経て大学に入学したりという経歴の持ち主です
彼が作る番組の切り口がとてもおもしろいので、このブログでも取り上げました
なかでも、「世の中は ”普通” に苦しんでいる」というタイトルの番組が印象に残っています
ちなみに、51万回再生されています
彼が指摘する、日本人の「普通」は4つあります
列挙してみます
①年収500万円
②27歳で結婚
③子供は2人
④終身雇用
以上です
おいおい、と思われる方も少なくないでしょう
コロナ以降の日本では、今まで以上に難易度が上がるタスクばかりです
冗談じゃない、そう思うのも無理はありません
しかしながら、これらを最初から放棄する人生を送ろうとするのは、今の日本ではなかなかに「後ろめたい」ことでもあるのです
なぜなら、これらの①から④が、よさまつさんの言葉を借りれば、日本人の「普通」とされるボーダーラインだからです
(もちろん、よさまつさんの主観に基づく基準ですが、日本人であれば妙に納得してしまう「普通」でもあります)
もっと言ってしまうと、これらを放棄(または、そういう姿勢を見せる)しようものなら、他者に対していい加減で無責任な「世間さま」が心無い言葉を投げつけてくるのですね
そういう人たちの殺し文句というのは大体決まっていて、「親が聞いたら泣く」とか「恥ずかしい」とか、それに類似したようななにかですね笑
ここまで述べた「日本人の普通」ですが、もはやこんな基準は日本人のスタンダードではないでしょう
そして、ここが重要なのですが、
よさまつさん曰く
ここでいう「普通」とは平均のことを指すのではなく、少なくともボーダーラインは最低限クリアした人間のことを指す
ここでいう「日本人の普通」基準は、よさまつさんの考える基準なのですが、こんな感じの基準というか偏差値的な序列付けは、今の日本に蔓延しています
自分でさえクリアできない基準であっても、自分のことは棚にあげ、他人をうしろ指を指して笑う。そんな感覚を日常で感じたことはないでしょうか
「世間」という誰かが作ったボーダーラインを気にして、お互いに不毛な監視をして、周囲に忖度(そんたく)して、見えない何かに怯えて暮らしている
それが、標準的な日本人。普通の日本社会だとすれば、我々は恐ろしく息苦しい世界に生きています
しかしですが、この「世間さま」が我々の人生に責任を取ってくれることはないですね
この「世間」のおかげで、日本人は何かを守ってきたのは事実なのでしょうが、同時に大切なものを失ってきた。少なくとも僕はそう思います
海外に出てしまうチャンスを覗うのもひとつかもしれませんが、自分の人生は自分で決める。少なくともそういう心がけは持ちたいですよね