FIREとは、
Financial Independence, Retire Early
経済的自立をし、早期にリタイアするということです
理論上は、死ぬまで使いきれないほどの大金を手に入れ、それを毎年取り崩していく。それでもFIREが成り立つはずです
しかし、昨今のFIREをめぐる論調を聞く、見るかぎり、そのようなことを目指す人は、いてもごく少数でしょう
そもそも、日本で「普通のサラリーマン」などやっていては、そのような一生遊べるだけの大金を蓄財するのはなかなか難しい。
というか、まあ、不可能でしょうね苦笑
むしろ、FIREへの道は、
金融資産であれ、不動産であれ、
なんらかの「キャッシュ・フロー製造装置」を手に入れ、インカム(状況によってはキャピタル)を確保していく
金融資産であれば、
その製造装置を、これからの人生を生きていけるだけの「容量」にまで拡張しない限りは、FIRE達成とはならない
(もちろん、金融資産だけに頼らず、それ以外の収入も確保していく場合は別ですが)
不動産は別として、金融資産について言えば、結局は「種銭」が必要ということですね
そして、「製造装置」なるものは、つまり資産運用。投資になるわけですね
今日は、FIREの成否を決定づけるといっても過言ではない、「キャッシュ・フロー製造装置」について、思いを巡らせみたいと思います
FIREの観点からいうと、
会社員として、いくら大企業に入って、いくら高い役職に就いて、いくら高い給料を得ていたとしても、そのような人のことを、FIRE達成などとは言わないですね
ロバート・キヨサキ氏のクワドラントでいえば、それはあくまで「E Employee(労働者 )」の階級ということになる
では、FIREを目指す人は、金融資産によって、どの階層を目標とすべきなのでしょうか?
それは、「I Investor(投資家)」ということになるでしょう
いくら高額の給与所得であろうと、給料のみで生きるのなら、それは「労働者」だし、
少額であっても、それが資産運用から生まれたもので生活しているのであれば、れっきとした「投資家」ということになります
もちろん、両者のハイブリッドということはあるにせよ、です
資産収入が大切なことは分かった。では、いくら「種銭」があれば良いのか?
よく言われるのは、年間生活費の25倍
これは、毎年4%を取り崩していけば、95%以上の確率で資産は枯渇しないという「トリニティ・スタディ」を逆算した数字です
「三菱サラリーマン」として知られる穂高唯希氏は、
まず金融資産「3,000万円」がひとつの分岐点だといいます(Twitterより)
穂高さんは、実際に7,000万円を貯めてFIREしたのですが、それでも、まずは3,000万円。
なぜ、3,000万円なのか?
先ほど述べた、トリニティ・スタディでも用いられる数値、「4%」運用ができたとして、
3,000万円あれば、年額で120万円。月額にして、10万円のキャッシュ・フローを作り出すことができます
穂高さん曰く、
このキャッシュ・フローが構築できはじめると、お金に対する意識が変わる
お金に対する考え方や、ひいては「生き方」そのものを模索するきっかけになる
そして、FIREにリアリティが生まれてくる
3,000万円と言われると、とてつもない「高い壁」にも感じますが、
しかし、富士山のような3,000メートル級の名峰でも、まずは最初の一歩からスタートします
そして、登山家であれば誰でも、エベレストのような、7,8千メートル級の最高峰を夢見る権利があります
投資するための「種銭」を作る
そして、投資によって運用する
「種銭」✕「運用利回り」=運用益
となるので、必要となる生活費との差し引きを計算すると、キャッシュ・フローが算出できます
そして、「トリニティ・スタディ」
その前提は、米国S&P500や、米国高格付け社債での運用です
FIREへのロードマップとして、非常に分かりやすい
ただし、このトリニティ・スタディを絶対視し、「おまかせ定食」的な運用を目指すのは、個人的に好きではありません
投資に対するスキルがないままに、みんなが言ってるから、的な発想で資産運用をするべきではないと思っています
ましてや、今は下落相場の渦中にあります。無邪気に買えばいいというものでもないと思います
逆にですが、投資のスキルさえあれば、なにも4%ルールにこだわらずとも、生き残っていくことはできる
3,000万円も必要ない場合もあるでしょう
ハイリスク、ハイレバなトレードを必要以上に目指せと言いたいわけではなく、
どのような投資手法を選択するにせよ、その全責任はみずからに帰結する
である以上は、自分で考え、スキルを向上させる姿勢が必要ではないでしょうか
みずから熟慮した結果、「トリニティ・スタディ」が腹落ちするということであったのなら、それはそれで納得感があるということになります