昭和の時代までは、「父権」とよばれる、今の時代からは分かりにくい家族形態がありました
家父長制とも呼ばれます。
一家の権力が、男性の家父長に集中していることをいいます(参考:Wikipedia)
日本が戦後、経済成長し女性が少しづつ社会進出するようになると、「父権の崩壊」などということが言われ始めました
父権というのは、古くから日本の家庭に見られた、長男を中心とする家督制度によるもので、明治時代には戸主権として法的にも認められていました
1947年の家制度の廃止にともない、家父長制は消えることになるのですが、父権の概念は日本の一般家庭に根強く残りました
特徴的なのが、情報や知識が「父(や、その後継となる長男)」に集約されたことです
かつては、女性は進学しなくてもいいとか、勉強しなくてもいいとかいった、今日からは考えられないような話が日常だった時代が続いた
昭和の、経済成長が低成長に転じ、その後バブルを迎えた頃からさかんに言われだしたのが、「父権の崩壊」です
つまり、男性が無根拠に威張りにくい時代になってきたということです
なぜ、威張りにくくなったのか?
いろいろな要因があるでしょうが、ひとつ大きな理由として、「情報の囲い込み」ができなくなったということがあるでしょう
昔は、男性に占有権があった情報と知識(インテリジェンス的な)が、広く、多くの人に行き渡ってきた
つまり、「物知り」としてえらそうにできなくなったのです
決定的なトドメになったのが、インターネットでしょう
ただの情報の寄せ集め的な「物知り」の、市場価値が暴落した瞬間です
分からないことは、すぐに検索すれば大体のことは解決できます
これからも、情報を知っているだけ、という人の価値は上昇しにくいのでしょう
いかに、知識を使って何をするのか?そういった感性に対するバリューが求められるでしょうね
そして、そんなことをできるのは人間よりもむしろAI。ChatGPTの普及をきっかけにそんな時代も一気に広がりを見せています。
では、我々はインターネットやAIの発達によって、どの程度の深度まで情報を活用することができるのでしょうか?
情報の価値にはさまざまな見方があると思いますが、
多くの方が、ブログなどで有益な情報を共有してくれるのもさることながら、
Twitterなどによって相当な鮮度で最新情報を入手することが可能になっています
もちろんですが、SNSから得られる情報には清濁あるのはご承知のとおりです
そこを踏まえることができるなら、
昔のように、情報を一人で抱え込むことにはもはや価値が薄いようにすら思えます
溢れる情報を選別し、いかに早く使い倒すか。そして、これが重要になると思うのですが、いかに付加価値の高い「無駄」を生み出せるか?
人として尊敬を受ける基準も、従来とは別次元のものになっているのでしょうね