「あんなふうになりたい」と、ぼんやり思うことは多々ある
ただし、それが現実化した経験はあまりない
多くの人は、そんな感じではないでしょうかね?
ぼんやり思っているだけだから、いつかじきに記憶の隅に追いやられるし、
我々は忙しいので、目の前にある雑事を消化するだけで精一杯です
そんな繰り返しで、気付いたら年をとっている苦笑
「こんな自分になりたい」と強く思っていないと、結果は出ない
それはそうなのでしょうが、一言で片付けるほど簡単じゃない。それでできるなら、誰にだってできるだろ。と言いたくなりますね。
一歩踏み出す「勇気」が出ない。なかなか身体も動きません
そうはいっても、
あのとき、勇気を出して決断したから、今の自分がある
誰しも、そんな経験の一つくらいはあるかもしれない
しかしそういう人は、実は立派だし、幸せな人だと思いますね
実際のところは、多くの人というのは、かなりの部分を「流されるまま」に生きているのかもしれない。なぜ、自分が今いる会社、学校、コミュニティに属しているのか?
なぜ、マスクを着け続けるのか?
特に、同調圧が強い日本では、自分も含めて自ら選択することが苦手な人が多そうです苦笑
なぜ、一歩を踏み出す「勇気」が出ないのか?
しかしですが、そのようなことに悩んだ自覚のある人は、かなり「進んだ人」なのかもしれない。
多分ですが、ほとんどの人は、そんなことを考えもしない
これだけ変化のスピードが速い現代にあって、自分だけが止まっている。という人が、実はほとんどだったりする
では、どうすれば、踏み出す勇気が作れるのか?
勇気というのは、無鉄砲とは少し違う気がしますね
リターンも読めないのに、
確率的にリスクが高いことに、あえて手を突っ込みたいと思う人は、ふつういない笑
もちろん、何をやるにしても、行動するにはリスクが付き物です
やってみたけれど、失敗だった、とか。残ったのは、何かの残骸だけ、とか
成功する確率を高めたいと思うのは、人間の正常な心理というものでしょう
何かを始めるにあたっては、どうすれば成功確率を高められるか、判断する材料を集める
そして、考えてみる。「仮説」であっても、いいですね
そこまでやって、とりあえず、考えたことが何となく合っていそうか、確かめるために行動してみる
そんなことなのかも知れません
だから、なにも、火中に飛び込むような覚悟が必要なのではなく、考えてみて、とりあえず試すという好奇心のほうが大切なのかも知れない
考えるのは、あくまで自分自身なので、他人の意見に左右されない。
他人からすれば、ひどく「突拍子もない」ことに見えても、自分にとっては、考えた末の行動なのです
とやかく言われる理由もありません
ちょっとした一歩が、もしかしたら大きなブレークスルーを起こすかも知れませんからね
そのスイッチが、実は自分のすぐそばに落ちていた、とか笑
他者から見れば、一歩踏み出す「勇気」があった人
実際のところは、
情報を集め、考え仮説を立てて、それを「とりあえず」検証しはじめただけの人かもしれません
それが、他者からみれば突拍子のない検証であったとしても、自分としては考えた末の、最も合理性があると感じる方法を試してみただけ
なので、そもそも「勇気」などがどうとか、考えていない笑
むしろ、その場に静止していることのほうが、当人にしてみれば「合理的ではない」
それだけのことだったりするかも知れませんね笑
人間というのは、自分が合理的と感じたら、そちらの方向へ動いていく生き物なのではないでしょうか
大切なのは、行動にいたる意思決定をする。そこなのかも知れません
たとえどんなに勇気を振りしぼって、清水の舞台から飛び降りるつもりでやってみたとしても、
それがすごく上手くいくか、ちょっと上手くいくか、失敗するか、大失敗するか。そんなことは分かりません
であれば、とりあえずやってみたことを「検証」してみる、くらいの感覚で十分かもしれない
本当に行動が早い人であれば、まず一歩動く。その感触を確認して、次のアプローチを検討してみる。
そんなやり方もありそうです
GAFAMの一角Facebookでは、とにかくスピードが求められるらしい
Done is better than perfect.
Mark Zuckerberg
他者から見ればすごいことでも、やってる当人にとっては、とりあえず普通の一歩だったということなのですね