「FIRE」といえば、経済的な独立を早期に果たし、会社を退職するリタイアメントを指します
Financial Independence Retire Early
その頭文字がFIREです
このブログでも、世にある代表的なFIRE本3冊をテーマに記事を書いたことがあります
FIREを達成するためには、一生涯の支出をまかなうだけの「タネ銭」が必要になります
ただ、そのタネ銭が相応の金額になるため、なかなかハードルが高いよねということになる
とはいえ、実は昔からFIREの民は存在していました
その中でも多くの人が知る名前に、永井荷風がいます
今日は、日経ヴェリタスの岩崎日出俊氏の記事を参考に、永井荷風の足どりを追ってみたいと思います
(2021.1.3「『ランティエ』を知っていますか」)
永井荷風は戦前戦後の小説家で、耽美主義的などといわれます
もともと資産家エリートの家に生まれ、慶應の教授を務めていた時期もあったのですが、「墨東綺譚」などの作品に表れるように、吉原の芸者遊びが日常だったといわれています
なぜ、教員の職を(素行の悪さで)失った荷風が生活できたのか?
それは、父が残した遺産があったからです
父の死後、自宅を売り払い2万3千円を手にしました。これは、当時の会社員の月給に換算すると50年以上?もの大金だったようです
この金を切り崩し、荷風は放蕩生活を続けつつ数々の作品を書いたのです
経済的困窮が生み出す文学もあるでしょうが、荷風はそうではない
お金に不自由することのない日常で、思索にふけるのも思いのまま。そのような生活を送っていたのでしょう
なので、投資原資を稼いだ後は4%ルールで運用するなどといった、現代のFIREとはかなり趣きが異なります
現在の日本でどのくらいの数がいるかは知りませんが、有り余る金を使うという、ある意味シンプルなリタイヤ生活です
資産が尽きるといった心配をすることもなかったでしょう
しかし、歯車は突然狂い始めます
太平洋戦争で敗戦した日本の通貨が、ハイパーインフレに見舞われてしまったのです
預金封鎖が起こり、銀行からの引き出し額も制限されました
いくら銀行預金を置いていても、引き出せない。当然パニックが起こりました
引き出せない通帳を手に、物価上昇を眺めるしかできなかった。
預金封鎖の9ヶ月後には、高率の資産税徴収が決められました
引き出しが制限された預金口座から、資産税が課せられました
結局のところ、預金封鎖と資産税は、敗戦で膨大に積み上がった国債の償還金確保が目的だったともいわれています
永井荷風のFIREプランは、崩壊することとなりました
「今年よりは売文にて糊口の道を求めねばならぬ」
それでも荷風には、文才が残りました
いま、コロナ感染の拡大に端を発し(いや、本当はもっと前から)、世界的なインフレ、日米金利差によって、日本の財政危機がささやかれることも増えました
今から約75年前、実はライフプランの崩壊という憂き目に遭っていたFIREの民がいたという事実は、頭の片隅に留めておいて損はないかもしれません