Another skyを探す旅

激変する世界を生きるヒント。それは自分の足元にある

「人間がウイルス、コロナはワクチン」という発想は、実は正しいのではないか?

f:id:Kicks2018:20200328075614j:image

 

シルバーウィークと称される4連休でしたが、新幹線には、まだ空席が目立ちました

 

感染の勢いが少し弱まり、

感染予防と経済活動を天秤に掛ける議論が増えてきたように思います

 

 

これは日本に限ったことではなく、アメリカやヨーロッパ各国でも同じです

 

 

一方で、エアラインは未だに多くの便が欠航し、体力の弱い航空会社から破綻し始めています

 

 

コロナウイルスは、世界の人、物、金の流れを寸断しました

 

 

そんななか、Twitter だったかな?で、投稿を見ました

 

 

それが、「究極、地球にとって人間がウイルス。コロナはワクチン」というものです

 

 

今日は、これについて考えてみます

 

 

コロナは「グローバル化」を否定するか?

 

 

3月以降、多くの都市がロックダウンの状態に置かれ、仕事、学校は停止や休校。外出が制限されました

 

 

www.glocal2019.com

 

 

www.glocal2019.com

 

 

 

製造業を考えても、中国など多地域展開しているグローバル企業や、そのサプライヤーは、コロナ前水準まで、部品の供給網を回復できていません

 

 

国内のみの中小であっても、大手や親会社が回復できていないので、生産が滞っている

 

 

日本国内をみても、GoToトラベルが中途半端なのもあって、旅行会社やホテル・旅館は軒並み不調のままですし、インバウンド需要に依存してきた事業者は、いま苦境に立たされています

 

 

www.glocal2019.com

 

 

 

これまで、グローバル化の名の下に、多くの人、物、金が世界中に流れていました

 

 

内向きといわれてきた日本でさえ、外国人との関わりなしでは、社会経済活動が成り立たちませんでした

 

 

我々、日本人は、どうでしょうか?好き嫌いなど言うまでもなく、世の中はグローバル化していくもの。そんな風に考えていたのではないでしょうか?

 

 

かぜ程度とも揶揄されてきたウイルス感染症が、そんなグローバリズムを完膚なきまでに切り裂いた。そんな印象を持ちます

 

 

「人間がウイルス、コロナはワクチン」という発想

 

 

地球にとって、人間はウイルス程度の存在なのか?

 

太古から、あらゆる生命体は進化の過程を辿ってきました

 

そのなかで、栄枯盛衰があったのも事実ですね

 

 

恐竜が絶滅した一方、小動物や植物、昆虫、細菌など、環境にあわせて変化しながら、現在に生命をつないでいる種も少なくない

 

 

地球の長い歴史から考えると、人類のルーツである霊長類が現れてから、まだ、たった1億年しか経っていない

 

人類など、ほんの新参者ということになります

 

 

壮大な地球にとってみれば、人類などほんのウイルス以下の存在かもしれないし、コロナウイルスもまた、ちょっとしたワクチン程度のものなのかもしれない

 

発想を逆転させると、「人間がウイルス。コロナはワクチン」は、地球にとってみれば至極当たり前のこと、かもしれません

 

 

コロナがなくても、世界は内向きになりつつあった

 

 

そもそも、僕は思うのですが、コロナ以前からも世界は「内向き」に向かいつつあったのではないでしょうか?

 

 

最近の例では、米中対立ですね

 

 

結局のところは米中の覇権争いで、両国とも自陣チームへの取り込みに躍起になっていました。その象徴のひとつが、ファーウェイです

 

 

覇権、とはなにか?

 

グローバル化の名の下に、実は多くの国や企業が、この「覇権争い」をやってきた

 

覇権とは、結局のところ独り占め

 

究極の内向き思考、と僕は思います

 

 

それは、企業であっても同じこと

 

例えば、製造業

 

自動車メーカーのサプライチェーンは、多くの国や地域にまたがって構築されてきました

 

 

ASEANなどではタイなんて、自国内で多くの部品を調達できたりしますが、それでも調達率が100%というわけでもない

 

 

企業は、人件費など生産コストの安い国へ生産拠点をシフトしています。それこそ、アメーバやウイルスのように、柔軟に他地域へ展開していきますね

 

行き着く先は、メーカー同士のシェア争い。覇権争いですね

 

もっとも、企業のグローバル化が、発展途上国の所得レベルを引き上げたり、生活水準を向上させたりする、それも否定できません

 

ただ、

チャイナ・プラスワンといわれていた時代から、生産コストの安い地域を求めて、例えばタイ・プラスワン。そして次の地域へ。結局はそんなことの繰り返しなのですね

 

しかし、

 

コロナウイルスが蔓延し、世界が寸断された

 

 

我々が考えるのは、

グローバル化とは一体なんだったのか?

 

そして、グローバル化は、人々を幸せにしてきたか?

 

それとも、幸せなグローバルと、不幸せなグローバルがあるのか?

 

 

いったい、我々は、どこへ向かおうとしているのか?

 

 

いま、何ができるのか?

 

 

なかなか、思い切った外出もしにくい

 

どうせ家にいるのなら、なにをするか?

 

自分なら、何をするだろう?

 

 

例えば、料理を作ってみる

 

これまで、外食に頼りきりだった人であれば、そんなささいな時間が、なにかすごく大切なことに気付くかもしれない

 

植木鉢の手入れをする

 

植木鉢のなかには、植物もちろん、土や、その中に暮らす微生物もいるはず。そこは、いってみればミニ地球でしょう

 

そんな、日常のささいなことをていねいにやっているうちに、意外とそれらが楽しいことに気付く

 

自分の足元に、じつは幸せになる環境があったことに気付く

 

自分自身が、どうしたら幸せになれるか。そんなことを考えているうちに、他者の幸せを願うことが、自分の幸せの大切な一部だと知る

 

人は、一人では生きていけない

 

他者とは?

 

自分のご主人や奥さんや子ども、家族。恋人。友人。地域の人々。日本の人々。そして、世界の人々。そんなつながりが広がっていくこと。それが、結局のところ、グローバリゼーションなのではないかと

 

そんなことを思うのですが、いかがでしょうか